徳島地方裁判所 昭和46年(行ウ)4号 判決 1981年4月24日
徳島市寺島本町東二丁目一八番地
原告
梶博久
右訴訟代理人弁護士
小早川輝雄
右補佐人
有岡定行
徳島市幸町三丁目五四番地
被告
徳島税務署長佐々正信
右指定代理人
川上磨姫
同
岩部承志
同
津川進
同
武田吉雄
同
清水福夫
同
大麻義夫
同
幸田久
同
岩佐一雄
同
小林正治
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者の求めた裁判
一、請求の趣旨
1 被告が原告の昭和四一年分所得税につき昭和四四年一〇月一八日付けでした、総所得金額一、八四九万三四八円及び所得税額八五三万一、〇二〇円(税額控除前の算出税額、以下同じ)とする更正処分のうち、総所得金額一、二六〇万円及び所得税額五二六万七二〇円を超える部分並びに重加算税の賦課決定処分はいずれもこれを取り消す。
2 被告が原告の昭和四二年分所得税につき昭和四四年一〇月一八日付け及び同月二三日付けでした、総所得金額二、一四〇万四、二三二円及び所得税額一、〇一〇万二、二〇〇円とする更正処分並びに過少申告加算税額四万一、三〇〇円及び重加算税額一八二万六、四〇〇円とする各賦課決定処分のうち、総所得金額一、六〇〇万円、所得税額七〇三万八、八〇〇円、過少申告加算税額二、八〇〇円及び重加算税額九二万三、四〇〇円を超える部分はいずれもこれを取り消す。
3 被告が原告の昭和四三年分所得税につき昭和四四年一〇月一八日付けでした、総所得金額二、六八二万〇、一五五円及び所得税額一、三三一万五、七〇〇円とする更正処分並びに過少申告加算税額二万〇、四〇〇円及び重加算税額二七二万三、七〇〇円とする各賦課決定処分のうち、総所得金額二、〇一七万四、九八〇円、所得税額九三四万八、七〇〇円、過少申告加算税額一万〇、三〇〇円及び重加算税額一五九万四、五〇〇円を超える部分はいずれもこれを取り消す。
4 訴訟費用は被告の負担とする。
二、請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二、当事者の主張
一、請求原因
1 原告は、個人で医業を営むものであるが、その所得につき、昭和四二年三月一五日付けで昭和四一年分、昭和四三年三月一五日付けで昭和四二年分、昭和四四年三月一五日付けで昭和四三年分の各確定申告を別紙一の一ないし三の各(A)欄のとおりし、この間昭和四三年七月一六日付けで別紙一の一、二の各(B)欄のとおり、昭和四一・四二年分につき第一次修正申告をし、さらに、昭和四四年四月二一日付けで昭和四一ないし四三年(以下本件係争各年ともいう)分につき別紙一の一ないし三の各(C)欄のとおり修正申告(昭和四一・四二年分については第二次修正となる。以下最終修正申告という)をした。
2 これに対し被告は、昭和四四年一〇月一八日及び同月二三日、別紙一の一ないし三の各(D)欄のとおり更正処分並びに重加算税及び過少申告加算税の賦課決定処分をし、同月二〇日及び二五日、これを原者に通知した。
3 原告は昭和四四年一一月一五日被告に対し、右の各処分につきそれぞれ異議の申立をしたが、被告は右異議申立を審査請求として取り扱うこととし、原告において昭和四五年一月三一日右取扱に同意したので、同日付けをもって高松国税局長に対して審査請求をしたものとみなされたが、高松国税局長の被申立人たる地位を承継した国税不服審判所長は、昭和四六年二月一〇日原告の各請求を棄却する裁決をし、同月一二日これを原告に通知した。
4 前記各原処分には、事業所得金額の算出にあたって医業収入のうちの自由診療分(付帯収入を含む)を過大に認定し、また社会保険診療分の必要経費の計算につき租税特別措置法二六条(昭和五四年法律第一五号による改正以前のもの)を適用しないで過少に認定したため、結局事業所得金額を過大に認定し、そのため正当な総所得金額は昭和四一年分が一、二一四万八、二六六円、昭和四二年分が一、四六六万一、四二二円及び昭和四三年分が金二、〇一七万四、九八〇円であるにもかかわらずこれを超える過大認定をした違法があり、また右過大に認定した総所得金額に基づいて前記各税額を算出した違法がある。
よって原告は被告に対し、請求の趣旨記載のとおり、各処分の取り消しを求める(ただし、昭和四一・四二年分については前記1の最終修正申告額を超える部分のみの取り消しを求めるものである。)。
二、請求原因に対する認否
1 請求原因1ないし3の事実は認める。
2 同4は争う。
三、被告の主張
1 原告の本件係争各年の所得税の課税標準等及び税額等は別紙一の一ないし三の各(D)欄(一)ないし(七)記載のとおりである。
2 事業所得金額算出における推計の必要性
本件において原告は、仕入、経費に関する帳簿と現金出納帳を作成していたが、収入金に関しては何らの帳簿をも作成しておらず、かって作成していた売上伝票は税務調査の際発見されるのを防止するためすでに廃棄していた。また、現金出納帳には診療収入金額を隠ぺいし、何ら根拠のない額が適宜記載されていたためその記載は措信できず結局帳簿書類により収入金額の実額を計算することは不可能であった。
なお、原告所有のカルテは所得税法犯則嫌疑事件につき領置きれた当時、診療収入金額の記載がなく、社会保険診療患者の保険対象外手術等の診療内容が原則として記載されておらず、収入金額をカルテに基づいて算出することは不可能であった。
3 事業所得金額の算出(収支計算法)
(一) 事業収入
(1) 原告の本件係争各年における医薬収入金額及びその内訳は別紙二(A)欄のとおりである。
(2) そのうち原告の争う自由診療収入及び付帯収入の内訳は別紙三の一のとおりであり、別紙三の二のとおりの単価に人員を乗じて算出したものである。
ただし昭和四三年分の入院患者分については右方法によらず、入院患者分の現金収入額より保険診療者の自己負担分を減じて算出した。
なお、中絶付帯収入、外来患者中絶以外分収入、入院患者分のうちその他の自由診療収入、付帯収入の各単価は、それぞれ原告の昭和四四年二月二七日から同年三月一五日までの入金伝票により把握した額を、その間の患者数で除した平均単価である。
(3) 右計算法において推計の基礎とした人員は、査察官が押収した原告作成及び保管にかかる病院日誌、管理日誌に基づいて正確に把握したものであり、単価は査察官が押収した入金伝票及び原告の妻梶安喜子の供述に基づき、右に述べた方法で合理的に算出したものである。
患者数と単価を推計の基礎とする右算出方法は収入金額と密着性をもち、原告の具体的実情に最も適合する合理的な推計方法として相当性がある。
(二) 経費等
事業所得の算出にあたって収入から控除すべき経費及びその内訳は別紙四(A)<1>ないし<22>欄のとおりであり、(一)(1)の収入金額からこれを控除すると昭和四一年分が一、七九一万一、五九七円、昭和四二年分が二、一二六万五、一五五円、昭和四三年分が二、六一八万一、九二〇円となるが、4で述べる資産増減法によって算出した事業所得金額と別紙四(A)<23>欄のとおりの不突合額があるので、原告に有利にするためこれをさらに控除し、結局別紙一の一ないし三の各(D)欄の(一)総所得金額内訳の事業所得金額を主張する。
4 事業所得金額の算出(資産増減法)
査察官の収集した証拠資料に基づいて作成した原告の貸借対照表は別紙五の一ないし三の被告主張額欄のとおりであり、資産増減法により所得金額を算出すると前記3の推計の合理性を裏付けることができる。
なお、昭和四一年分別紙五の一の負債、資本の部の元入金の算出の基礎となった昭和四〇年一二月三一日現在の原告の資産負債は、別紙五の四のとおりであり、このうち原告の争う現金高の算出方法は次のとおりである。
昭和四四年三月一七日査察調査時確認された現金在高と原告の妻梶安喜子の供述による毎年夏頃の現金在高の記憶額を基礎とし、これに査察により収集された資料に基づく臨時支出を勘案して毎月の定例増加額を算出しこれによって毎年末の現金在高を推計した。
5 加算税の算出
(一) 原告は妻梶安喜子と相談し、現金出納帳に根拠のない虚偽の額を記載して診療収入額を仮装するとともに、保険診療収入を除くすべての現金収入額の判明する売上伝票を、税務調査の際発見されないよう処分し、収入金額の大部分を百数名におよぶ架空または家族名義の定期預金や貸付信託にしたうえで右預金証書や有価証券等を銀行の架空名義の貸金庫に保管して右収入を秘匿し、よって事業所得金額を、昭和四一年においては一、一八〇万五、三〇一円、昭和四二年においては一、一一五万二、〇三二円、昭和四三年においては一、六〇〇万八、九一〇円圧縮して課税標準の基礎となる事実を仮装、隠ぺいし、これに基づき確定申告(及び昭和四一・四二年については第一次修正申告)をなした。
(二) 前記(一)の仮装、隠ぺい行為に基づく重加算税の額の基礎となるべき税額及び仮装隠ぺいされていないものに基づくことが明らかと認められる過少申告加算税対象税額を計算すると別紙六の一(K)、(L)欄記載のとおりとなり、重加算税額は別紙一の一ないし三の(D)欄の(八)、過少申告加算税は別紙一の二、三の(D)欄の(九)のとおりである。
四 被告の主張に対する原告の認否及び原告の主張
1 被告の主張1に対する原告の認否及び主張額等は別紙一の一ないし三の各(E)欄(一)ないし(七)のとおりである。
2 事業所得金額の算出にあたり推計の必要があるとの被告の主張は争う。
原告所有のカルテは治療時にその内容が明確に記載されており、原告病院ではカルテ記載の治療内容に基づき、徳島県医師会配布の慣行料金表により換算して患者から集金していたものであるから、同様の方法でカルテに基づき収入金額の実額を算出することが可能であり推計の必要はない。なお、昭和四四年一一月ころ、本件のため各年度の収入金額を算出するにあたり、カルテの治療内容に基づいて前述慣行料金表により換算した金額をカルテに記載した。
3(一)(1) 原告の本件係争各年における事業収入金額についての被告の主張に対する原告の認否及び主張額は別紙二(B)欄のとおりである。
(2) そのうち原告の主張する自由診療収入の内訳は別紙三の三のとおりであり、その算出方法は、イ、ロ、ハについてはカルテを集計し(昭和四三年分のハについては入院患者請求台帳によった)、ニ、ホ、ヘ、トについては一部国税局の計算を利用し一部カルテを集計し、チについては給食台帳を集計し、リ、ヲ、は寝具台帳を集計し、一部資料のないものは按分計算により、ヌ、ル、ワ、カについては国税局の集計を利用した。
(3) 被告の推計方法の合理性、相当性は争う。
被告は、三被告の主張3(一)(2)において、一部の単価につき昭和四四年二月二七日から同年三月一五日まで約一七日間の売上伝票から平均単価を算出し、これを昭和四一年、昭和四二年についてもそのまま適用しているもので、物価上昇を度外視した無謀な推定計算方法で合理性はない。
(二)(1) 三被告の主張(二)の経費に対する原告の認否及び主張額は別紙四(B)欄のとおり(総支出額については国税局の計算によった。)である。
(2) 本件係争各年における社会保険診療収入については、租税特別措置法(以下単に措置法という。)二六条一項(昭和五四年法律第一五号による改正以前のもの、以下措置法二六条についてはいずれも右改正以前のものをいう。)を適用して、収入金額の一〇〇分の七二に相当する金額を必要経費として控除すべきである。
原告は、当初の各確定申告書に措置法二六条一項の特例によって計算した旨を記載していなかったが、その後提出した最終修正申告書には右記載をした。
なお、徳島税務署の実情としては、確定申告書に措置法二六条一項の特例によって計算した旨記載していなくとも特例扱いを受けうる便宜的扱いがなされていたもので、原告の昭和三九年分及び四〇年分についても当初の確定申告書には前記特例に従って計算するとの記載はなく、その後、昭和四四年七月一一日に右適用の記載をして修正申告したところ、更正なく修正申告のとおりに確定しているのであって、原告の本件においてのみ特例扱いをしない被告の措置は権利の濫用にあたる。
4 被告提出の貸借対照表の認否及び原告の主張額は別紙五の一ないし三の原告の認否及び主張額欄のとおりである。
被告主張の他に筒井肇に対し、昭和三四年一一月より昭和三五年末までに数回にわたり合計一五〇万円の貸付金があり、昭和四二年七月から同年一二月までに六〇万円、昭和四三年一月から同年九月までに九〇万円の返済を受けた。また、原告の長男の妻梶洋子から昭和四一年五月一一日婚姻の際持参した金五〇〇万円を昭和四二年中に、及び昭和四二年中に実家から小遣として持参した金一五〇万円を昭和四三年中に、それぞれ原告が運用を依頼され預った預り金があった。
被告主張の現金在高の推計方法は、原告の妻梶安喜子の供述による現金在高を基礎としている点で客観性のない不合理なものである。
5 加算税の算出
(一) 昭和四一年分については所得の仮装、隠ぺい等不正手段があったことは否認する。
(二) 昭和四二、四三年分について
加算税の基礎となるべき税額を更正額との増差額とする被告の主張を争う。加算税の基礎となるべき税額は措置法を適用した原告主張額との増差額に限られるべきである。
右増差額のうち、昭和四二年分については第一次修正申告、昭和四三年分については確定申告の際配当所得等の記載もれや所得控除額の単純な違算があり、この部分については仮装、隠ぺいされていないものに基づくことが明らかなものであるから過少申告加算税の対象となるものとして計算の基礎となるべき税額を計算すると別紙六の二(G)欄のとおりとなり、重加算税の額の基礎となるべき税額を計算すると別紙六の二(F)欄のとおりとなり、重加算税額及び過少申告加算税額は別紙一の二、三の(E)の(八)(九)欄のとおりである。
五、原告の主張に対する被告の認否
四(二)(2)の原告の法律上の見解は争う。
原告の最終修正申告書に措置法二六条一項の特例の適用を受ける旨の記載があることは認めるが、原告は、本件係争各年の当初の各確定申告書に措置法二六条一項により特例計算した旨を記載していなかったので、同条二項により、右特例扱いを受け得ない。
徳島税務署において実情として確定申告書に措置法二六条一項により特例計算した旨記載がなくとも特例扱いを受けうる便宜的な取扱いがなされていたとの事実は否認する。
原告の昭和三九年分及び昭和四〇年分について当初の確定申告書には前記特例計算する旨の記載はなく、その後昭和四四年七月一一日に右記載をしてなされた修正申告が更正なく確定した事実は認める。被告は原告の昭和三九年分、昭和四〇年分の各修正申告を妥当と認めていないが、国税通則法七〇条一項の更正期間制限により、更正処分を行なわなかった。
第三、証拠
一、原告
1 甲第一、第二号証
2 証人梶安喜子
3 乙第一、第二号証、第三号証の一、二、第四号証の一ないし三、第五号証の一ないし五、第八ないし第一四号証、第一七ないし第一九号証、第二四号証の一、二の成立は認める。第七号証のうち添付の畑田正作成上申書部分の成立は知らないが、その余の部分の成立は認める。第一五号証の一ないし三、第一六号証の一ないし三、第二〇、二二、二三号証、第二五ないし第二九号証の原本の存在とその成立を認める。第二一号証、第三〇ないし三四号の原本の存在と官署作成部分の成立を認め、その余の部分の成立は知らない。その余の乙号各証の成立は知らない。
二、被告
1 乙第一、二号証、第三号証の一、二、第四号証の一ないし三、第五号証の一ないし五、第六号証の一、第六号証の二の一ないし三、第六号証の三、第六号証の四の一ないし三、第六号証の五、第六号証の六の一ないし三、第六号証の七、八、第七ないし第一四号証、第一五号証の一ないし三、第一六号証の一ないし三、第一七ないし第二三号証、第二四号証の一、二、第二五ないし第三四号証
2 証人吉井健一、同香川俊夫
3 甲号各証の成立は知らない。
理由
一、請求原因1ないし3の事実及び被告の主張1のうち別紙一の一ないし三の各(D)欄の(一)総所得金額内訳の事業所得金額(及びその金額を前提として算出される(一)総所得金額、(三)課税総所得金額、(四)算出所得税額、(七)申告納税額)を除く部分は当事者間に争いがない。
二、推計の必要性について
原告が係争各年においては収入金に関しては何らの帳簿を作成しておらず、かって作成していた売上伝票は廃棄していたこと、現金出納帳には根拠のない額が記載されていたためその記載は措信できず結局帳簿書類により収入金額の実額を計算できなかったこと、以上の事実は原告が明らかにこれを争わないので自白したものとみなす。
成立に争いのない乙第一八、第一九号証、原本の存在とその成立に争いのない乙第二〇、第二三、第二七号証、原本の存在及び官署作成部分の成立に争いがなく、その余の部分については証人香川俊夫の証言により成立の認められる乙第二一号証及び証人香川俊夫の証言によれば、次の事実を認めることができ、証人梶安喜子の証言のうち右認定に反する部分は前掲各証拠に照らし措信できず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。
原告の病院では、保険対象患者のカルテを記入するにあたっては、保険請求時に、カルテ記載のものを単純に計算すればよいようにして事務上の誤りを防止するため、保険診療のみを記載し、保険対象外の手術、投薬等は原則として記載していなかった。自費診療をカルテに記載するのは、例外の場合のみでその時は括孤をつけたり、赤鉛筆で丸をつけたりして区別していた。保険対象外の治療については、カルテと別にメモ書を作成してこれに基づいて患者から集金し、入金後はメモ書を処分していた。昭和四三年一月以降は、入院患者については給付外診療カードを様式化し、保険対象外の治療を記入してこれに基づき患者から集金するようになったが、給付外診療カードは患者の退院後しばらくすると廃棄していた。結局係争各年において保険対象外の診療を把握できる資料は存在していない。昭和四三年一月からは入院患者については請求書に基づいて収入明細書を記入するようになり、これが保存されている同年一二月二一日までの入院患者からの窓口現金収入が判明するが、これ以外に係争各年の保険診療外の収入実額を算出できる資料は存在していない。
以上の自白認定事実を総合すれば、本件において原告の本件係争各年の収入金額は、社会保険診療収入及び自由診療収入のうち昭和四三年一月から同年一二月二一日までの間の入院患者からの窓口現金収入を除いては、推計により算出することが必要やむをえないものということができる。
三、収支計算法による事業所得金額の算出について
1 原告の本件係争各年における医業収入金額についての被告の主張のうち、別紙二(A)欄の自由診療金額附帯収入金額(及びその存在を前提とする合計額)を除く部分は当事者間に争いがない。
そこで自由診療収入、附帯収入について判断するに、これらはそれぞれについて患者から集金した額の合計額であるから、本件係争各年につき患者数と患者一人当りの単価をそれぞれ合理的に算出ないし推計することができるならばこれを乗じ右各収入を算出するのが合理的で相当な方法ということができるので、以下被告の主張する患者数と単価の合理性について検討することとする。
2 成立に争いのない乙第一号証、第四号証の一ないし三、第五号証の一ないし四、証人香川俊夫及び同吉井健二の各証言並びに右各証言によって成立の認められる乙第六号証の一、三、五、第六号証の二、四の各一ないし三によれば、被告主張の人員の算出推計過程について次の事実を認めることができ、証人梶安喜子の証言のうち右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。
原告病院では当然に備えつけなければならない記録として病院日誌、管理日誌、入院退院患者名簿が作成されており、本件係争各年分の右記録は査察に際し差押ないし領置されていた。査察官吉井健一は右記録から、日々の入院外来患者数(保険種類、一般別)を抽出して乙第六号証の二の一ないし三を作成し(ただし、昭和四一年一月から四月の外来患者一般については管理日誌に記載がなかったので同年五月から一二月までの外来患者総数と、うち一般患者数の割合をもって推計した)、日々の新規入院患者数を抽出して乙第六号証の三を作成し、日々の手術件数(中絶、開腹別)を抽出して乙第六号証の四の一ないし三を作成し、日々の分娩数を抽出して乙第六号証の五を作成し、これらを集計して乙第一号証末尾添付の患者数等一覧表(以下単に患者数等一覧表という)を作成した。また管理日誌とやはり領置されていたカルテから集計して昭和四三年分につき第一号証末尾添付の中絶手術等の明細表を作成した。右第一号証添付の中絶手術等の明細表によれば、昭和四三年における自由診療の外来中絶者数は、二五〇人(一月から九月まで一九六人、一〇月から一二月まで五四人)であり、総中絶患者数に占める割合は五〇パーセントである。患者数等一覧表によれば昭和四一、四二年における総中絶者数は昭和四一年一月から同年三月までが一七三人、同年四月から同年一二月までが四三四人、昭和四二年は五二七人であり、これについて自由診療分を区別しうる資料はなく、昭和四三年分の右五〇パーセントの割合により自由診療分中絶者数を推計すると昭和四一年一月から三月までが八六人、同年四月から同年一二月までが二一七人、昭和四二年は二六三人となる。また、患者数等一覧表によれば、保険診療外来患者数は、昭和四一年が二万八、〇七三人、昭和四二年が二万六、三五五人、昭和四三年が三万〇、一六二人であり、その他の自由診療患者数(一般外来患者数から中絶患者数を差引いたもの)は、昭和四一年が一、一四四人昭和四二年が一、一八八人、昭和四三年が一、〇〇二人である。患者数等一覧表による入院患者総数は昭和四一年が一万四、〇〇三人、昭和四二年が一万五、二六二人である。大部屋のベ ト二六床はほとんど常に稼働していたので入院患者総数からこの数を差引くと個室使用者数は昭和四一年が四、五一三人、昭和四二年が五、七七二人である。患者数等一覧表による正常分娩数は昭和四一年が一二一人、昭和四二年が一四九人であり、昭和四一年分につき単価の異なる昭和四一年三月までと四月以降を区別しうる資料はなく、同一覧表によりその期間の分娩総数の年間分娩総数に占める割合により推計すると、昭和四一年一月から三月までが三六人、同年四月から一二月までが八五人となる。暖房料及びガス代は一月、二月、三月及び一二月の四か月のみ徴収していたもので、患者数等一覧表によるこの期間の入院患者数は昭和四一年が四、四〇八人、昭和四二年が四、八一五人である。電気器具の使用者は入院患者の約一割なので入院患者総数に右割合を乗ずると昭和四一年が一、四〇〇人、昭和四二年が一、五二六人である。以上の人員の算出、推計の方法及びその基礎となる資料の、選択については査察の際、原告病院で経理を担当していた梶安喜子に逐一意見、供述を求め、これに基づいた決定がなされ、原告の顧問税理士畑田正もその妥当性につき確認しており、病院日誌等の基礎資料と査察官作成の乙第六号証の二ないし六、乙第一号証添付の各表等については国税局の取調べ室及び別室で梶安喜子及び畑田正の両名がある程度抽出して検討し確認した。
以上認定の事実によれば被告主張収支計算法の基礎となるべき人員はいずれも(後述昭和四一年四月から同年一二月までの自由診療中絶患者数を除く)信頼できる資料に基づき合理的に算出、推計されたものということができる。ただし、前掲乙六号証の四の一及び証人吉井健二の証言によれば乙六号証の四の一の作成にあたり、昭和四一年七月分中絶件数集計に計算まちがいがあり、正確に計算すると昭和四一年七月分の中絶件数は六五件であり、昭和四一年四月から同年一二月までの中絶総人員は四二四人となることが認められ、右の計算まちがいのある数値を基礎としてなされた限りにおいては被告の人員の算出推計方法は合理性がなく、右認定の正確な数値に基づき昭和四一年四月から同年一二月までの自由診療分中絶者数は二一二人と推計するのが合理的である。
3 成立に争いのない乙第一号証、第四号証の一ないし三、第五号証の二、乙第一九号証、証人香川俊夫及び同吉井健二の各証言によって成立の認められる乙第六号証の六の一ないし三、原本の存在とその成立に争いのない乙第二一、第二七号証、証人香川俊夫及び同吉井健二の各証言によれば、被告主張の単価の算出推計過程について次の事実を認めることができ、証人梶安喜子の証言のうち右認定に反する部分は措置できず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。
査察官吉井健二は2におけると同様に査察に際し国税局において任意提出を受け領置された管理日誌、入院退院患者名簿から乙第一号証末尾添付の患者数等一覧表昭和四四年分を作成し、原告病院において寝具貸付料を請求するために作成され査察の際差押されていた昭和四三年分寝具原簿から部屋別の入院患者の入院退院日を抽出して乙第六号証の六の一ないし三を作成し、これから不合理な重複分を除外し集計して乙第一号証末尾添付の個室利用状況調四三年分を作成した。原告病院においては事務室窓口での入金の一切を記録する売上伝票が作成されていたが、一定期間経過後には処分されていた。査察調査の際昭和四四年二月二七日から同年三月一五日までの間の売上伝票のみが残存しており差押された。査察官香川俊夫はこれを集計して乙第一号証末尾添付の自44・2・27至44・3・15における現金収入一覧表(以下単に現金収入一覧表という)を作成した。自由診療収入及び付帯収入のうちで昭和四一年一月から昭和四四年三月までの間に、単価に変動のあったのは中絶科(昭和四一年一月から三月まで四、〇〇〇円、同年四月から昭和四三年九月まで五、〇〇〇円、昭和四三年一〇月から同年一二月まで六、〇〇〇円)、個室使用料(昭和四二年まで五〇〇円、昭和四三年から一、〇〇〇円)、分娩料(昭和四一年三月まで五、〇〇〇円、昭和四一年四月から昭和四三年九月まで六、〇〇〇円、同年一〇月から八、〇〇〇円)、暖房料(昭和四三年一一月まで一〇〇円、同年一二月から二〇〇円)、電気器具使用料(昭和四二年まで二五円、昭和四三年から五〇円)、氷代(昭和四三年一月から一〇〇円)、出産児寝具貸付料(昭和四三年七月から五〇円)のみであり、その他は単価に変動のなかったものについては昭和四四年二月二七日から同年三月一五日までの売上伝票により作成した現金収入一覧表から単価を算出することとし、現金収入一覧表による右期間の中絶付帯収入の総額は二万三、〇七〇円で中絶患者数は一六人であり平均して一人当りの単価を算出すると一、四四一円となる。現金収入一覧表による右期間の外来保険診療患者の保険対象外収入四万一、四〇〇円を患者数等一覧表昭和四四年分による外来保険診療患者数一、二五三人で平均すると単価は三〇円(一けた未満切捨て)となる。また、現金収入一覧表によれば、右期間のその他の自由診療患者数(一般外来患者数から中絶患者数を差引いたもの)は六六人であり、その収入額は六万二、六五〇円であるが、この内には一人他に比べ異常に高単価(一万四、〇〇〇円)の患者が含まれているのでこの一名を除外して平均すると単価は七四八円となる。個室利用状況調四三年分による昭和四三年の個室使用者数は五、九七七人であり、梶安喜子の査察官に対する供述によると昭和四三年の正常分娩人数は一六五人であるが、単価の異なる同年九月までと一〇月以降を区別しうる資料がないので患者数等一覧表により各期間の分娩総数の年間分娩数に占める割合によって推計すると同年九月までが一二二人、一〇月以降が四三人となる。患者数等一覧表によれば昭和四三年の暖房料領収期間中の入院患者数は一月から三月までが四、〇七七人、一二月が一、二六五人であり、電気器具使用者数は入院患者総数一万六、九五二人の一割であるから一、六九五人であり、出産児寝具使用人数は出産総数一九九人の五割が五日間使用したのでのべ五〇〇人であり、梶安喜子の査察官に対する供述によると氷を使用する人は一日に平均七人なので二、五五五人となる。そこで昭和四三年につき単価に変動のあった個室使用料、分娩料、暖房料、電気器具使用料、出産児寝具貸付料、氷代を右の単価と人員により算出し、これと保険診療による自己負担額とを後に4で述べる収入明細表により算出した入院患者からの徴収総額から差引くと、その他の自由診療収入の総額七六二万三、二九四円が算出され、入院患者総数一万六、九五二人で除すると平均単価は四四九円となる。また現金収入一覧表によると昭和四四年二月二七日から同年三月一五日までのガス代の合計は三、九七〇円、その他の収入は一万五、九七二円であり、患者数等一覧表による入院患者数八四七人で除するとガス代の単価は四円、その他の収入の単価は一八円となる。以上の単価の算出方法及びその基礎となる資料の選択については、査察の際梶安喜子に逐一意見を求め、これに従っており、原告の顧問税理士畑田正もその妥当性を確認した。原告病院においては院長である原告は診療に専年しており、原告の妻梶安喜子が経理関係をとりしきっており、保険診療については事務員らがカルテの記載に点数をかけて請求額を算出していたが、保険診療患者の自己負担分及び自由診療収入については梶安喜子自身がメモ書や給付外診療カードの記載によって患者に対する請求額を計算し、請求書の作成までを行なっていた。
以上認定の事実によれば、梶安喜子は、原告病院における自由診療収入の内訳、単価、その変動、収入計算方法等について最も精通している者というべく、被告主張の各単価はいずれも信頼できる資料に基づき合理的に算出、推計されたものということができる。
なお原告は、昭和四四年二月二七日から同年三月一五日までのわずか一七日間の売上伝票から平均単価を算出し、これを昭和四一、四二年にまでそのまま適用するのは、物価上昇を度外視した無謀な推定方法であると主張するが、被告主張の単価の推計方法は、収入金のうち昭和四一年から昭和四四年三月までの間に単価の値上げがあったものについては別途各期間の単価を採用したものであり、右売上伝票の平均単価によったのはその以外の単価に変動のなかった部分に限られていることは前認定のとおりであり、原告の主張は理由がない。
4 成立に争いのない乙第一号証、第五号証の二、原本の存在とその成立に争いのない乙第二一、第二七号証、証人香川俊夫の証言によれば次の事実を認めることができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
原告病院においては入院患者からの入金につき各患者毎の請求額を記載した収入金明細表があった。これは昭和四三年一月から記載しはじめたもので査察時も継続して記入されており、入院患者からの集金については保険診療の自己負担分、自由診療分を問わず付帯収入を除きすべて記載されており、これを集計することにより、入院患者からの現金収入は、付帯収入(ガス代、電話料金等)を除いてすべて把握することができる。収入金明細表は請求書を転記して作成するため、一度請求しても入金が遅れて次回再び請求したような場合には重複が生じていることが考えられるので、これを適正に除外するため、査察の際差押えられていた収入金明細表を国税局において原告の顧問税理士である畑田正と梶安喜子が検討した上で畑田正が集計した。その結果を記載した両名作成の上申書(乙第一号証末尾添付)によると昭和四三年一月三日から同年一二月二一日までの入院患者からの現金収入額は二、三七三万一、二〇五円である。原告病院では毎月五日、一〇日、一五日、二〇日、二五日、月末日を集金日としており、差押えられた昭和四三年の収入明細表は一月三日から一二月二一日までのものしかなく、一二月二六日、同月三〇日の集金分がつづられていないが、この両日も集金をしなかったわけではなく、収入明細表がどこかへまぎれこんでつづられていないにすぎないものであるから、両日の収入額を一二月のその余の集金日の平均収入額で推計することとし、これを合計すると昭和四三年分の入院患者からの現金収入額は二、四二〇万九、二三二円である。
5 以上のとおりであるから、右各人員と単価を乗じて合計することにより(昭和四三年の入院患者からの収入は、4で算出した額を採用し)、原告の本件係争各年の自由診療収入金額は、昭和四一年分の中絶分が一八三万三、四一八円、合計額が一、三二四万九六七円となる他は別紙三の一のとおりであると合理的に推計することができ、原告の医業収入金額のうち自由診療収入及び付帯収入の金額は、昭和四一年分の自由診療収入金額が一、三二四万〇、九六七円、合計額が四、六五一万九、七七六円となる他は別紙二収入金額表(A)欄のとおりである。
6 事業所得の算出にあたって収入から控除すべき経費は、雑費のうち被告主張額を超える部分(及びその額の存在を前提とする合計額)を除いて当事者間に争いがない。
原告は支出額の主張に際し総支出額は国税局の計算によった旨述べ、雑費以外については被告の主張額と同一額を主張しているが、右雑費額の差異、算出根拠については何らの主張もしていない。これら弁論の全趣旨並びに成立に争いのない乙第三号証の一、第四号証の一ないし三、第一七号証、原本の存在及びその成立に争いのない乙第二六号証を総合すると、原告病院においては経費に関して経費明細帳(昭和四一、四二年)、経費帳(昭和四三年)が記帳され、また領収書が保存されており査察の際、原告方及び畑田税理士事務所より差押ないし領置されたこと、原告病院においては係争各年につき、査察の段階で明らかにされた一部を除いて簿外の経費はなかったこと、梶安喜子と畑田正は査察の際、相談の上で経費を計算した上申書を作成し、査察官に提出し、梶安喜子は査察官及び検察官に対し、計算結果の妥当性を確認していることが認められ、被告は原告の右帳簿、領収書に右査察段階で明らかになった簿外の経費を考慮した上で支出額を適正に集計して算出した額を経費として主張しているものと推認することができ、被告主張額を超える経費は存在しなかったものと認めるのが相当であり、右認定に反する証拠はない。
原告の係争各年の最終修正申告書に措置法二六条一項の特例によって所得計算をした旨の記載があった事実は当事者間に争いがなく、原告は、被告の更正以前に納税義務者である原告より措置法の適用を希望する旨の意思表示がなされているのだから原告の本件係争各年における社会保険診療収入について措置法二六条一項を適用すべきであると主張するけれども、措置法二六条二項は、「前項の規定は、確定申告書に同項の規定により事業所得の金額を計算した旨の記載がない場合には、適用しない。」旨明文をもって規定し、一方確定申告書と修正申告書とは税法上明確に異なる概念として取扱われているのに右規定は単に確定申告書のみに限定し、修正申告書又はその他の納税者側の事情の存在する場合にも右適用があることを定める規定は全く見当らないのであるから、右規定の趣旨は、措置法二六条一項の規定は、一般の事業所得の金額の計算の特例を定めるものであって、右特例は個人開業医の社会保険診療収入の所得計算つき、前記確定申告書中の記載の有無にかかわらず、当然に適用されるものではなく、その適用を受けるか否かを確定申告時の納税者の選択に委ね、右選択により当該所得金額にかかる必要経費算入額を確定せんとするにあり、右適用を受けるためには同法による特例の適用を選択し、所得金額を計算した旨を確定申告書に記載することが必要不可欠であると解するのが相当であるから、原告の係争各年の確定申告書に右記載がないことは当事者間に争いがない以上、前叙の修正申告書の記載ないし原告の意向の如何にかかわらず、原告は措置法二六条一項の適用を受けえないものというべきである。
原告は、徳島税務署の実情として、確定申告書に措置法二六条一項の特例によって計算した旨記載していなくとも右特例の適用を認める便宜的な扱いがなされていたと主張するが、右事実を認めるに足りる証拠はない。原告の昭和三九、四〇年分の各確定申告書に前記特例によって計算する旨の記載はなかったが、昭和四四年七月一一日に右記載をして修正申告したところ、更正なく修正申告のとおりに確定したことは当事者間に争いがないが、弁論の全趣旨によれば、右二か年分については更正の期間制限の制約によって更正をしなかったにすぎないとの事実が認められるので、被告が原告の本件についてのみ特別に措置法の適用を認めない不利な扱いをしたものとはいえないし他にも本件において措置法の適用を認めない被告の措置が権利の濫用にあたるとの原告の主張を基礎づける事実を認めるに足りる証拠はない。
7 そこで、前認定の原告の医業収入金額から右経費を控除すると、原告の事業所得金額は昭和四一年が一、九〇一万一、五九四円、昭和四二年が二、一三四万〇、〇〇九円、昭和四三年が二、六三一万〇、七九〇円となり、被告主張額(被告主張医業収入金額から経費の他、資産増減法による事業所得金額との不突合額をも控除した額、別紙一の一ないし三の(D)欄の(一)のとおり)を上回っている。
四、資産増減法による事業所得金額の算出について
被告主張の貸借対照表のうち、別紙五の一昭和四一年分の資産の部8貸付金、負債、資本の部9元入金、11事業所得(及び各部合計金)を除く部分、別紙五の二昭和四二年分の資産の部8貸付金、負債・資本の部4預り金、11元入金、13事業所得(及び各部合計金)を除く部分及び別紙五の三昭和四三年分の負債・資本の部3預り金、10元入金、12事業所得を除く部分は当事者間に争いがない。
原告は、被告主張の他に昭和三五年までに筒井肇に対する合計一五〇万の貸付金があり、昭和四二年中に六〇万円、昭和四三年中に九〇万円の返済を受けたと主張する。しかし乙第七号証のうち成立に争いのない部分及び原本の存在とその成立に争いのない乙第二六号証によれば梶安喜子は査察調査の際には査察官に対し二度にわたり、このような貸付金はなかった旨供述していた事実が認められ、右事実によれば原告主張の貸付金は存在しなかったものと認定することができる。証人梶安喜子は、査察調査当時に右貸付金の存在及び返済を受けたことが念頭にあったが、筒井肇に迷惑をかけてはいけないとの配慮から黙っていたにすぎない旨証言し、一方では甲第二号証の作成過程につき同証人は、筒井肇に対し右貸付金及び返済について書いておいてもらいたい旨依頼し、後に筒井肇が喉頭癌さらに肝臓癌を発病して入院し、かなり危険な状態になってさらに頼んで昭和五三年七月五日に至り病床で長男筒井候彦を呼んで代筆してもらった旨証言し、これを比較すると不自然な点の存することは否めず、証人梶安喜子の右証言部分は直ちに措信できない。また証人梶安喜子は、筒井肇は外科医院を開業していた医師であるところ、昭和三五年ころには患者数も少なかったが、昭和四二年ころ長男候彦が肇のもとへ帰って一諸に開業したため借金もなくなってきて原告に対する右貸付金を返済しはじめたものと思われる旨証言し、一方では、筒井肇の長男候彦は昭和四二年から三年余り原告病院を手伝って産婦人科を修業し、肇のもとへ帰って開業したのはその後であるとも証言し、その趣旨は首尾一貫しない。結局証人梶安喜子の証言のうち右貸付金に関する部分はたやすく措信できないし他に甲第二号証の成立を認めるに足りる証拠はない。他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。
また原告は、原告の長男の妻洋子が実家から持参した金員を昭和四二年中に金五〇〇万円、昭和四三年中に一五〇万円、それぞれ原告が運用を依頼されて預った預り金があったと主張する。証人梶安喜子の証言及びこれによって成立の認められる甲第一号証の存在は、梶洋子が昭和四一年五月婚姻の際両親から五〇〇万円の持参金を、その後昭和四二年には一五〇万円の小づかいをもらっていたという原告の主張に副うものである。一方原本の存在及び成立に争いのない乙第二九号証によれば、原告の長男梶博は、査察の際、梶洋子が両親から持参金や小づかいとしてまとまった金をもらったことはないと思っていた事実が認められ、娘が婚姻するに際し両親が持参金を持たせ、またその後にも小づかいを与えたり、また夫がその事実を知らずにいることはなるほど通常ありえないことではない。しかし、証人梶安喜子は、さらにこれを預った経過につき次のとおり証言する。梶洋子はこれら両親からもらった金員を、当座使う必要がなかったので昭和四二年五月ころ、住居の西宮から原告宅へ夫の梶博と来た際に右五〇〇万円を、さらに昭和四二年夫とお盆に帰った際さらに一五〇万円をいずれも現金で持ち帰り、適当に貯金でもして下さいと言って梶安喜子に手渡した。原告宅では現金はたんすの中に入れて保管しており、現金収入があると上へ入れ、必要な時はそこから必要なだけ出す状態で、現金が多額まとまってきたり、銀行員が預金を勧誘した際には、適宜残金を残して、まとまった金額を預金していた。梶安喜子は梶洋子から預った金員を原告宅の現金と一結に保管し、特に区別しなかったので、適宜原告宅の現金とともに、東洋信託銀行の信託等で小口の他人名義の預金となっており、他の原告のものである架空他人名義の預金と区別はつかないが、そのころなされた架空名義の預金の中には梶洋子からの預り金が含まれているはずである。しかし右証言は、五〇〇万円、一五〇万円という額は多額であるにもかかわらず、単に適当に貯金をしてもらうだけのために西宮から徳島まで現金で持運び、また同行の夫はこれに気づいたり不審をいだいたりしていないこと、長男の妻が実家からもらった持参金等を預ったにもかかわらず、自宅の現金と混合してしまい、結局それがいつ貯金にまわったものか不明であること等の点において不自然なもので到底信用することができない。成立に争いのない乙第一〇号証によれば、梶安喜子は、査察に際し、畑田正とともに、原告の資産負債や生活費等の個人支出の状況等について取りまとめた上申書を作成し、これを提出の上査察官に対しこれらの点につき供述したが、長男梶博の生活費や結婚関係の費用等については結納金、祝金やその返礼代金に至るまで詳細に供述したにもかかわらず、梶洋子の持参金については全く触れていないこと、右上申書の預り金について取りまとめた部分には、梶洋子からの預り金は記載されていないしその存在について特に供述はなかったこと、預金や信託は家族名義や他人名義のものもすべて原告の所得から出たものである旨述べたこと、以上の事実を認めることができる。また梶博も査察官に対しては梶洋子は持参金を持ってきていないと思う旨述べたことは前認定のとおりであり、右事実によれば、原告において梶洋子から持参金等の六五〇万円を預ったことはないと認めるのが相当である。
成立に争いのない乙第七号証(畑田正作成の上申書部分を除く)、第八、第九号証、元本の存在及びその成立に争いのない乙第二七号証、証人香川俊夫及び同梶安喜子(後記措信しない部分を除く)の各証言によれば、被告主張の昭和四〇年ないし昭和四三年の各年末の原告の現金在高の推計過程について次の事実を認めることができ、証人梶安喜子の証言のうち右認定に反する部分は前掲各証拠に照らし措信できず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。
原告の病院及び自宅における各年末の現金在高を記録したものは全くない。原告病院における経理及び原告宅の現金の出し入れは主に梶安喜子がとりしきっていた。原告病院では集金された現金は合計額を記載したメモとともに梶安喜子のもとへ届けられ、梶安喜子は普通預金等に預け入れることはせず、納戸のたんすや手元の金庫に保管し、必要に応じ支払いに当てていたもので、定期的に現金在高を数えることはなかった。しかし、一定の時期がくると、このうちからまとまった金額を定期預金や信託に預け入れることにしており、その際には二・三か月先までの支払見通しを立て、少なくとも必要と思われる金額は必ず残しておくことにしていたので、多額の預金をする際には手元に残す現金残高をだいたい把握していた。そこで一年のうちで最も多額の預金をしている毎年夏頃の預金直後の現金残高を基礎として各年末の現金在高を推計することとし、梶安喜子がその記憶に基づき査察官に対し供述したところによれば、いずれもまとまった額を預金した直後に、昭和四〇年六月末には六五〇万円、昭和四一年九月末には三〇〇万円、昭和四二年八月末には一〇〇万円、昭和四三年八月末には四五〇万円の現金残高があり、また、昭和四四年三月一七日に捜索を受けた際原告宅には五〇三万三、一三九円の現金があった。現金在高は臨時支出(入金)により変動するので査察官香川俊夫は梶安喜子の供述を録取して昭和四一年から同四四年にかけての原告の預金、信託の預け入れ、証券売買、固定資産取得等一〇万円以上の臨時支出を取りまとめ、臨時的支出一覧表を作成した。現金在高は臨時支出により変動する他、定例的に増加(定例収入1定例支出)しているので、右各期の現金在高の増差額に、臨時的支出一覧表によるその期間内の臨時支出を合計し、月数で除すると毎月の平均定例増加額を算出することができ、昭和四〇年七月から昭和四一年九月が一四六万五、五六七円、昭和四一年一〇月から昭和四二年八月までが一一一万〇、六一四円、昭和四二年九月から昭和四三年八月が一七八万三、九八三円、昭和四三年九月から昭和四四年三月が二一五万八、九一八円となる。なお右増加額は年次増加しているが、昭和四一年一〇月から昭和四二年八月の間においてはそれ以前に比べ減少しているところ、右期間は、原告が病気加療中で病院の収入が伸びなやみ、また、院長を代理すべき医師の給料等の経費が増大した時期と一致する。そこで先の梶安喜子の供述に基づく毎年六ないし九月の現金在高に、毎月の増加額と臨時的支出一覧表による臨時支出を加減して各年末における現金在高を算出すると昭和四〇年末は八一〇万円、昭和四一年末は五一〇万円、昭和四二年末は六〇〇万円、昭和四三年末は六五〇万円となる。以上の推計方法については査察の際、原告の顧問税理士畑田正立会の上で梶安喜子に逐一意見を求め、妥当性の確認を得ている。
以上のとおり推計された現金在高のうち、係争各年末のものについては当事者間に争いのないのは前示のとおりであり、弁論の全趣旨と以上認定の事実を総合すると被告主張の現金在高の推計方法は合理的なものであり、昭和四〇年末の現金在高は右合理的方法により推計されたものということができる。
以上のとおりであって原告の係争各年における貸借対照表は負債資本の部事業所得金額を除き別紙五の一ないし三の被告主張額欄のとおりとなり資産増減法によっても被告主張事業所得金額の合理性を裏づけることができる。
五、以上によれば、原告の事業所得金額は被告主張額をもって正当ということができるから、前記一の争いのない事実をも加えると、原告の係争各年の課税総所得金額及び算出所得税額は別紙一の一ないし三の各(D)欄の(三)、(四)記載のとおりと認められ、本訴請求のうち更正処分の取消を求める部分は理由がない。
六、五で認定した原告の係争各年の算出所得税額に前記一の争いのない事実を加えると、原告の申告すべき適正な納税額は、別紙一の一ないし三の(D)欄の(七)のとおりと認められる。成立に争いのない乙第一、第一一、第一二、第一四号証、原本の存在とその成立に争いのない乙第二五号証、原本の存在と官公署作成部分に争いがなく、右官公署作成部分によりその余の部分の成立の認められる乙第三一、第三二、第三四号証によれば次の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。原告は将来原告が死亡すると、財産について莫大な相続税を支払うために現在の病院や居宅の一部を売却しなければならなくなることを予想し、相続税にあてる金員を貯蓄するため妻の梶安喜子と相談して所得を過少に申告して所得税を免れることとした。そこで収入金に関しては何らの帳簿を作成せず、現金出納帳には収入を隠ぺいするため真実の収入金額を記入せず根拠のない額を適宜記載して収入金を圧縮仮装し、事務室で患者から集金になったすべての収入が判明する売上伝票は税務調査の際発見さることを防止するため廃棄し、収入金額の大部分は架空名義の定期預金や貸付信託として隠匿していた。以上の事実によれば被告の主張する事業所得金額圧縮部分については原告が課税標準の計算の基礎となるべき事実を隠ぺい仮装し、これに基づき確定申告(及び昭和四一、四二年については第一次修正申告)をなしたことが認められ、右仮装、隠ぺい行為に基づく重加算税の額の基礎となるべき税額及び仮装隠ぺいされていないものに基づくことが明らかと認めて右基礎となるべき税額から控除すべき額(過少申告加算税の対象となる)を計算すると、別紙六の一の(K)(L)欄のとおりとなる。
そうすると、原告の係争各年の重加算税額及び昭和四二、四三年の過少申告加算税額は、別紙一の一ないし三の各(D)欄の(八)、(九)のとおりとなるから、本訴請求のうち、重加算税及び過少申告加算税の賦課決定処分の取消を求める部分も理由がない。
七、以上のとおりであるから、原告の請求はいずれも理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 加賀山美都子 裁判長裁判官岩佐善己、裁判官横山敏夫は、いずれも転補のため署名押印できない。裁判官 加賀山美都子)
別紙一の一
昭和四一年分
<省略>
別紙一の二
昭和四二年分
<省略>
別紙一の三
昭和四三年分
<省略>
別紙二
収入金額表
<省略>
別紙三の一
被告主張自由診療収入内訳
<省略>
別紙三の二
<省略>
別紙三の三
原告主張自由診療収入内訳
<省略>
別紙四
経費内訳表
<省略>
別紙五の一
昭和四一年分貸借対照表 (昭和四一、一二、三一現在)
<省略>
負債資本の部番号9の元入金は、別紙五の四資産負債調記載のとおり被告及び原告の主張する、昭和四〇年一二月三一日現在の資本の部の合計金額から、負債の部の合計金額を控除した金額である。
別紙五の二
昭和四二年分貸借対照表 (昭和四二、一二、三一現在)
<省略>
別紙五の三
昭和四三年分貸借対照表 (昭和四三、一二、三一現在)
<省略>
別紙五の四
資産負債欄 (昭和四〇、一二、三一現在)
<省略>
別紙六の一
加算税対象額計算表
<省略>
別紙六の二
加算税対象額計算表 (原告)
<省略>